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ななぶろ(再)

人間1年目vs父親1年目

先日、息子が1歳の誕生日を迎えました。嬉しい反面、もう赤ちゃんじゃないという淋しさもあり。

ここまで1年、大事なく育ってくれたのはママの愛情の賜物にほかなりません。本当は1ヶ月かけて妊娠~出産~1歳までの振り返りエントリを作りたかったんですが案の定しなかったのでギリギリ月イチ更新を保てる程度にまとめます。

生まれる前から父親は始まっている

奥さんの妊婦検診や母親(両親)学級には努めて同行するようにしていました。

妊婦検診でエコーをするたびに、胎児がだんだんと人間の形になっていくのはまさに生命の神秘というやつでした。最近ではエコーの動画をUSBにコピーしてくれるので、貴重な記録になりました。

母親学級ではこれから母体に訪れる変化や赤ちゃんを迎える準備、緊急時の対応など大事なことを色々と教えてもらうのですが、ただでさえステータス異常の母親がこれぜんぶ聞いて持ち帰るって相当無理な話で、どう考えても旦那も聞いて把握しておくべき事柄だと思いました。「お腹に抱える以外のことは全部やる」が行動指針。まあそれが出来たかと言われれば全然ですが。。。

生まれたとき何を思ったか

年明けに放送された「逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類!新春スペシャル!!」で、生まれたばかりの我が子と対面した平匡さんは「生物だ…」とつぶやき、のちにみくりさんに不審がられていました。個人的には、あの反応には正直共感しかなかったです。エコーを通してその姿かたちを確認したり、ポコポコ動くお腹を見てきているとはいえ、やはり自分の胎内に抱えているのとは実感が違いますので、出てきたそれが本当に生命体なんだということに感動してしまったのです。本当に生きてる、何もなかったところから人間がひとり出てきたという事実に対する謎の感動。あのスペシャル回、作中の時系列がうちとほぼ同じだったので、その意味でも面白かったですね。

コロナ禍

2020年生まれのオリンピックベビー…と思いきや、COVID-19の拡大と共に生まれたコロナベビーとなってしまった我が子。運のいいことにうちの場合は、検診や入院の同行、出産立ち会いまで滑り込みセーフで可能でしたが、それから1ヶ月もしないうちにどこの産院も同伴も面会も不可、父親は出産立ち会いどころか退院の日まで赤ちゃんに会うことも叶わないという状況に。地元の幼馴染たちも春から夏にかけて出産がありましたが、面会も立ち会いも不可(妊婦の母親ですら!)だったとのこと。

立ち会いまで出来たうえに定額給付金の対象!なんて親孝行な子!

何より惜しいのは、おじいちゃんおばあちゃんに会わせてあげられないこと。出産直後はどちらの両親も来てくれて抱っこしてもらったりしたのですが、本当にそれっきり(お義母さまには産後しばらくと引越しの時に居てもらったりしましたが)。不定期的にLINEのビデオ通話で顔は見せていますが、やはり赤ちゃんの間にそれぞれの実家には連れて行きたかった。

育休は取るべきなのか

はっきり言って、取れる限り最大限に取るべきです。こう言っといてなんですが自分は取らなかったので、激しく後悔しています。収入の減少に不安があったこと、勤務の特性上、家にいる時間が多く取れそうだったこと、お義母さまが来てくれるからということなど、取らないことにした理由は様々あるのですが、それを差し引いても、奥さんと赤ちゃんと一緒に過ごせる時間はプライスレスだったと思います。もし2人目ができるようなことがあればその時は絶対に取ります。上の子を見ながら赤ちゃんの世話をするほうがずっと大変だろうから。

子育ては楽しいのか

メチャクチャしんどい。メチャクチャめんどくさい。それ以上にメチャクチャ楽しい。自分の腕の中で我が子がすくすくと大きくなっていく喜びは他の何物にも代えがたい。世の(一部の)旦那がこれをやろうとしない理由がマジで理解不能。いままでただのアニメ声優オタクでしかなかった自分が子供が生まれた途端にツイッターに写真をアップしたり子育てエントリを書くようになったあたりでその浮かれようが分かると思います。

うちの場合はとにかく最初の3ヶ月が過酷でした。昼夜問わず2~3時間毎に寝る、起きる、授乳、オムツ替えの繰り返し。通しで3時間以上寝られたことはほとんど無かったと思います。そんな中でも、だんだんと親のほうをじっと見つめていたり、指をしゃぶり始めたり、ちょっと笑ったかな?というような表情の変化が出はじめたり、日々の変化と成長がとっても楽しくて愛おしい。自分では動くことも出来なかった我が子が、今ではもう自分の脚で立って歩こうとしている。こんなに365日が毎日楽しかった1年は初めてでした。

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妊娠中のこと、新生児期のこと、離乳食のこと等々、書いていては本当にキリがないくらい様々なことがありましたので、それらも少しずつ記事にできたらと思っています。なんとか記憶の残っているうちに。